投稿・田丸謙二 ハーバーと田丸家のつながり

田丸謙二会員よりFritz Haber Institut創立100年さに招かれて講演した時の事を記した原稿をいただきました。ドイツではよく知られているそうですが、わが国ではあまり知られていないようなので、ここに会員の声として掲載します。

Fritz Haber Institut の創立百年祭に招待されて

田丸謙二(東京大学名誉教授)

1911年にKaiser Wilhelm Institut Institut für physikalische Chemie und Elektrochemieとして Berlinに創立された研究所が、途中でFritz Haber Institut (FHI) と名前を変えて、2011年には創立100年となるのを記念して、10月26日~28日の3日間、記念行事が執り行われた。4年前にノーベル化学賞をとった前所長のGerhard Ertl 教授の75歳の誕生日のお祝いも兼ね、世界中から一流の学者を招いての盛大な講演会でもあった。参加した人たちは物理、化学は言うまでもなく、化学史の専門家まで含み、千人ほどが集まった。私は百年の歴史の中での「Haber と日本」と題して、原稿も見ずに、この100年の間の田丸家と Fritz Haber Institut との関係について講演をした。

図1 Fritz Haber(1968-1934)と現在のFritz Haber Institut
http://www.mpg.de/947176/person8
http://www.mpg.de/152740/fritz_haber_institut?section=ch

内容的には亡父田丸節郎(1879-1944)が1908年2月に Karlsruhe 工科大学の Haberの研究室に留学し、「死ぬほど働いて」アンモニア合成の成功に関与し、1911年Haber が新設されたBerlin の Kaiser Wilhelm Institutの所長になった折に、直ちに亡父を所員に招き、第一次世界大戦が始まって日独が敵対関係になるまで合計6年間、Haberと共に研究をして来たことなどを中心に話した。

N2 + 3H2   -->   2NH3
 820K、180気圧、オスミウム

図2 1909年に成功した、いわゆる「ハーバー法」によるアンモニアの合成


図3 設立間もない研究所の前で(1913年ごろ)(左)およびアメリカに渡った後の田丸節郎(ニューヨークで1916)(右)

今回、その当時、亡父が撮った百年前の写真を何枚も出して見せたのは、聴衆にとっては大変に印象的であったようだし、FHI としても非常に貴重なものであったようだ。その後、1918年にHaber は「空気からパンを作った」ということでノーベル化学賞を受け、1924年に星一さん(星製薬、星薬科大学創立者)の招待に応じて夫妻で来日をした。在日中は各地で講演をし「国を発展させるには科学の振興が必要である」という、彼がドイツで英仏をしのいで国を振興させた実績に基づいた講演を行った。亡父はそれを翻訳し、自分なりの科学振興の必要性も加え、一冊の本として岩波から1931年に出版したのである(現在、国立国会図書館近代デジタルライブラリーに収録されている。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1149313)。事実、その頃の我が国から欧州への自然科学の留学の75%はドイツに行ったものである。


図4 岩波書店から出版された「ハーバー博士講演集-国家と学術の研究」

その影響もあってか、わが国では昭和一桁の非常な経済不況の中にありながら、Kaiser Wilhelm 協会をモデルにして日本学術振興会を作り、大学や研究所に研究費を増額分配し、学術論文数もほどなく倍増し、人材が育ち、アジアでも最も近代化した国になった。ベルリン工科大学をモデルとして東京工業大学を新設もした(この両方の学術振興の実積は、亡父の大変な尽力なしでは実現しなかったものである)。Haber がドイツの学術振興だけでなく、結果的にはわが国の科学振興という点でも大いに貢献したことは、科学を重視するドイツ人たちにとっても初耳であったし、大変に印象的でもあったらしい(わが国でもほとんど知られていない)。

次世代として私が、世界で初めて触媒反応中におこる固体触媒表面の挙動を直接、観察して、それまで反応機構は推論に基づいていただけだったのを飛躍的に発展させたin situ characterization を開発し、触媒科学が科学として生まれ変わったことに触れ、それをGerhard Ertl が発展させて、たとえば Photoemission electron microscope を用いて見事な結果をもたらしてノーベル化学賞(2007年)に至ったことに触れ、さらに娘婿の大山茂生(現・東京大学工学部化学システム工学教授)がフンボルト賞を3年前に受けて Hans-Joachim Freund のもと半年間FHI に滞在したことを告げて、結局、田丸家は過去100年の間三代にわたり FHIと深い関係を持って来たことを紹介し、これまで一世紀の間、世界をリードして来たFHI がさらなる新しい世紀も世界をリードすることを願う、と言って話を閉じた。

話の途中に、亡父が残した百年前の写真の中にある亡父が着ていたモーニングがベルリン製であり、百年の間無事に保たれ、興味あることに私の娘の大山秀子(現・立教大学理学部化学科教授)にピッタリのサイズであることを言って、秀子がその服を着て演壇に現れた時は、皆で拍手大喝采であったし、Haber夫妻が鎌倉の我が家を訪問した折の写真の中に、私が母の腕の中にいた赤ん坊であって、Haberと直接会っている証拠でもあると言った時も拍手が湧いた。


図5 Haber Villaの玄関先で筆者と燕尾服を着た大山秀子および大山茂生(左)、 鎌倉の田丸家を訪問したHaber夫妻と田丸節郎夫妻(1924年)(右)

話が終わってからの皆の態度はそれまでとはガラリと変わり、何十人もの人が入れ替わりに、素晴らしい話だった、wonderful だけでも十何人か、beautiful, elegant, moving (感動的)、gem (宝石)(招待に与った Friedrichさんの表現)、highlight(今回のCentenary の議長を務めた FHI のdirector のGerard Meijer 教授も使った表現)、excellent (Ertlさんの表現)と、各人なりの言葉を使って私に対してベタ褒めであった。英語も解りやすく、素晴らしかったし、とにかく88歳の人があんな立派なプレゼンテーションをするなんて考えられない、という大変な評判であった。そうしてあの話はとても内容が素晴らしくて、話を聞いておくだけではもったいないし、是非その資料をドイツ化学会やFHIに永久に保存すべき話であるから、面倒でももう一度、同じ話をして貰いたいということになり、今度は十何人かの幹部の前でもう一度、プレゼンテーションをさせられた。ビデオにまとまったら送ってくれるという。とにかくこの上ない大変な好評であった。ビジネスクラスの旅費まで出してくれてのご招待であったので、それに充分以上に報いることができて、本当によかったと思った。鎌倉まで人を派遣するので FHIの古い資料を見せてくれないか、とまで言われたし、FHI の図書室に「田丸古文書」の枠を作ることも議論されているとのことであった。

以前は、英語で苦労をすることが全くなかったが、今回は耳が遠くなり、英語が聞き難く、秀子が大分助けてくれた。老化現象によって耳が遠くなる不便さはどうにかしなければならず、もっと優れた補聴器にする必要がある、というのが正直の感じであった。幸い一緒に招待を受けた娘婿が全てを手配してくれて済ますことができた。ベルリンでは日本に比べて非常な寒さで、飛行機の往復途中もよく眠れず、時差もあって肉体的に大変な苦労であったし、風邪をこじらせながらようやく無事に帰国できた(会議が終わってから秀子たちと Romantic Road を回って来た)。

秀子が、科学史の専門家に我が家には亡父が百年前に購入した Lavoisierや Liebig などの手書きの手紙がある、と伝えたら大変に興味を示していたという。亡父が購入したままに置いてあったのだが、多分、世界で唯一の本物の手書きの手紙だけに、科学史の資料としても大変に貴重なものだからである。

世界の人口は前世紀中に4倍になった。遠からず世界の人口は二百億になるという。ハーバーのお蔭で1913年に窒素肥料のアンモニアが工業的に生産され始め、何十億もの人が飢餓から救われたのであるが、これからの100年では、さらに新しい科学と技術の進歩、しかも環境と調和した持続可能な成長が可能となるような進歩が求められていくのであろう。
                     2011年12月28日

注:田丸謙二会員が書かれた原稿に若干手を入れ、写真などを下記の文献から借用しました。
1)田丸謙二、大山秀子。認定化学遺産第012号田丸節郎資料(写真及び書簡類) Fritz Haberとの交流と学術振興。化学と工業、65-7、(2012).
2)Oyama, H. T. Setsuro Tamaru and Fritz Haber: Links between Japan and Germany in Science and Technology. Chem. Rec.. doi: 10.1002/tcr.201402086. (2015),

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