松田良一会員:生物学教育にヒトの性を

日本の少子化は、性教育をこれまで真剣にやって来なかった文部行政がもたらした「人災」だ。

私は20年間にわたり、国際生物学オリンピックに関与し、世界各国の高校レベルの生物教育を比較してきた。日本の学校教育ではカエルの受精は教えるが、最も大事なヒトの生殖(性交や受精、着床、妊娠と避妊、胎盤、へその緒、分娩)や、性接触性感染症、感染に伴う不妊については全く教えない。

これらは、高校生物の学習指導要領に入っていない。わずかに保健体育で取り上げているが、その科学的記載は乏しい。一方、アジアを含む諸外国では、性に関する科学教育が充実している。日本では不妊治療の必要性を感じて受診した産婦人科医から、初めてクラミジア感染にともなう卵管采周囲癒着や閉塞(卵管性不妊)について知る。オランダではなんと13、14歳向けの生物教科書で、分かりやすく図解入りで説明している。コンドーム等の避妊具の装着法、さらにクラミジアや淋病など性接触性感染症にかかった場合、どのような症状が現れるかについても13、14歳でも自己診断できるように書かれている(*)。そして感染したら直ちに処方すべき抗生物質があることも教えている。他の多くの国も同様だ。各国とも、教室で教師が写真や図入りの教科書を使って、分かりやすく説明している。日本だけがこれを教えない、偏った「異次元の理科教育」を行っている。この違いは何によるものだろう?

日本では妊娠は成人後に学ぶべき事柄として、10歳代での教育の必要性を否定する文部科学省の「はどめ規定」により、初等中等教育における性教育のタブー化が浸透しているからだ。厚生労働省のデータによると、日本の20歳代女性のクラミジア感染率は5人に1人に上り、クラミジアに感染した女性の卵管狭窄や閉塞も増えている。同様に、現在、淋病感染者もふえつつあり、子宮外妊娠や卵管性不妊の原因となっている。

もちろん少子化の要因として、結婚率の低下や晩婚化といった社会的変化もあるだろう。しかし、まずは直ちに現行のはどめ規定による性教育の制限を撤廃し、他の国々と同様、ヒトの生殖を教育すべき範囲に入れることが、少子化対策の第一歩と考える。性接触性感染症を予防し、あるいは感染を早く認識して治療に向かわせる国際標準の性教育を始めるべきだ。このまま少子化が進行すると、ある計算では22世紀初頭には日本国民は半分以下になり、さらに減少は早まるだろう。文部科学省は、現状のヒトの生殖を教えない教育こそ、「異次元の教育」であることを認識し、これを早急に是正することから始めるべきである。

*「14歳からの生物学」 松田良一、岡本哲治監訳 白水社 (2020年刊)

上記とほぼ同じ内容のものが、日本経済新聞5月5日朝刊の私見・卓見欄に、掲載されています。

【引用されている本についての広報担当理事の補足】
ちなみに、この本の構成は、「Unit 1:呼吸、Unit 2:栄養と消化、Unit 3:循環系、Unit 4:生殖、あとがき・さくいん」と続き、それぞれのユニットは、「基礎」、「発展」、「まとめとテスト」、「応用」からなっています。

生殖のユニットを見てみると、「基礎」として
1 身体の変化
2 男性生殖器系
3 女性生殖器系
4 生理(月経)
5 性への関心(セクシュアリティ)
6 避妊(バースコントロール)
7 妊娠と出産
8 性感染症

「発展」として
9 その他の避妊の方法
10 その他の性感染症

「応用」として
1 動物の生殖
2 ピルの患者用添付文書

となっています。その他のユニットについては触れませんが、いずれのユニットも、呼気と吸気、食物と栄養素、血液・血液循環のように身の回りのことから始めて、それぞれの器官系に進んでいき、細胞や細胞小器官のレベルには立ち入っていません。13、14歳ですから日本の中学校の2、3年生にあたります。

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